こんにちは、コストをかけずに最短最速で結果を出すSNS集客と仕組み作りの専門家、伏見美映です。

起業カレッジ Initial Stage 」を主宰しています。

今でこそ大好きな生徒さんとオンラインでお話ししたり、時間を自由に使いながら、自分らしい働き方で最高の毎日を送っている私ですが、学生の頃は勉強が嫌い、会社員時代は前に踏み出すことができず、やる気のない日々を過ごしてきました。

そんな私の数多くの挫折とそれらを乗り越えてきたストーリーをご紹介したいと思います。

現在の私は、自宅にいながらオンラインで、これから起業したいと考える女性、また起業したものの集客できない・売上が上がらないと悩む女性起業家さんに向けて、「コストをかけずに最短最速で結果を出すSNS集客と仕組み作り講座」を行う 起業カレッジ Initial Stage を主宰し、今まで300人以上の女性起業家さんとオンラインで繋がりサポートしています。

しかし、「起業カレッジ Initial Stage」を主宰し、オンライン講師となるまではずっと、「何をしたいのか」「何をすれば良いのか」が全くわかっていませんでした。

勉強嫌いな学生時代

小さい頃の私は、教員をしている父と母、姉の4人のごくごく普通の家庭に育ちました。

地方公務員である父は、姉や私が、中学生や高校生になると「公務員はいいよ。学校の先生はいいよ。」とよく口にしていました。母も「毎月ちゃんとお給料が入る安定した仕事はいいよ」と常日頃、言っていました。

しかし私は、「毎月ちゃんとお給料が入る安定した仕事が本当にいいんだろうか?」と疑問に思い「何か違う気がする」と感じていましたが、自分の気持ちをうまく言葉にすることができずに、両親の言葉を聞き流すだけでした。

そして、高校を卒業したら服飾の専門学校にいこうかな、と考えることもありましたが、今思えば、服飾に興味があるというより、教員になって欲しいと思っていた父への反抗心でした。

高校3年生になると、周りの友人全員が大学進学希望者。

一生懸命に勉強しているのを見て触発されて、なんと、高校3年生の夏に「私も大学に行く!」と宣言して猛勉強を始めたのです。なにしろ、数学では0点を取ったことがあるくらい勉強していませんでしたから、それは大変でした。夏休みは毎日学校へ通い、友人から勉強を教えてもらっていました。

その頃の私は、「東京の大学にいけば両親からも離れて、楽しい生活が待っている」と思い込んでいました。

およそ半年間、今までの遅れを取り戻すように一生懸命勉強して、ようやく東京の大学へ進学することができました。

しかし、大学へ入ったものの、何も目標がなかったので、勉強そっちのけで遊ぶのに夢中。

全く勉強しない学生生活を送りながらも、

両親からは「安定した仕事がいい。教員になるといいよ」と言われていましたが、その度に「仕事はしていきたいけど、教員にはなりたくない。東京で働きたい」と思っていました。

父の気持ちがわかった時

父が「安定した仕事はいいよ」と言っていた理由がわかったのは、姉が結婚する時でした。

結婚の挨拶に来た義兄と姉を前にして、「結婚しても、ずっと仕事を続けてほしいと思ってる。女の人もこれからはずっと仕事をしていく時代だよ。教員なら、ずっと続けられる安定した仕事だし、男女平等に働けるからね・・・。辞めるのは残念だけどね・・・。」とまるで独り言のように父が語っていました。

姉は教員として働いていましたが、結婚を機に他県へ引っ越しすることになったので、教員を辞めなければいけなかったのです。

父の話を聞きながら、「あ〜、女性でもずっと仕事ができるように、考えていてくれたんだなぁ」と少し嬉しくなったのを覚えています。

都会で働き始める

東京で働くことを望んだ私は、大学を卒業しても田舎には帰らずに、東京で就職しました。

入社したのは、化粧品会社でした。

入社のきっかけは、就職活動中に先輩が「女性が綺麗になることに携わりたい。」と話しているのを聞いて「女性の活躍を応援する仕事っていいな」と思ったからでした。

これはずっと父が「これからは女性も働く時代だよ」と言っていたことが頭に残っていたからかもしれません。私自身も働きながら、働く女性を応援したいと思うようになっていました。

しかし営業部に配属された私は、販売することができません。

セールスなんて初めての経験で、どうすればいいのか、何をすればいいのかさえも、まったくわかっていませんでした。

そして、入社3ヶ月という早さで逃げるように退社してしまいました。

阿山さんとの出会い

新卒で入った化粧品会社をすぐに辞めてしまった私は、大学時代にバイトしていたマーケティング会社で再びバイトをすることになりました。

その会社で出会って、私の人生を大きく変えることになった友人が阿山さんでした。阿山さんは、私より3つ年上のお姉さんですが、会ったその日から意気投合。なんでも話すことができました。

田舎の両親から「正社員で働いて安定した生活を送りなさい」と毎日のように言われ続けていた私は、阿山さんにも「正社員になりたい」と相談していました。

阿山さんのご両親も教員をしていたので、育った環境が似ていたからか、「安定」という言葉に納得しながらも反発する気持ちを理解してくれていました。

そんなある日、阿山さんが「ここの面接受けてみたら」と言いながら、出してきたのは新聞の求人欄の切り抜き。

「外資系の化粧品会社のマーケティング部員募集」の記事でした。

そのころは、新聞の求人欄が大切な情報網だったんです(笑)。

化粧品は興味あるし、面白そう、と感じた私に阿山さんが一言。

「ここの化粧品、私使ってるんだけど、すごくいいの。あなたが就職すれば安く買えるよね」と・・・。

「なんだぁ、私のこと考えてくれたんじゃないの??」とちょっと呆れてしまいました。

しかし、正社員にはなりたいし、阿山さんにも利点があるなら良いか、と思って真剣に面接受けたら無事合格することができました。

阿山さんご愛用の化粧品会社のマーケティング部には12年勤務した後、外資系アパレルグッズの会社3社に転職。私は数十年に渡り、マーケティングにどっぷり浸かった人生を歩むことになったのです。

長い会社員生活なので、いろんなことがありすぎて書ききれないくらいですが、いつの頃からか、「会社員をやめて起業したい」と思うようになり、会社員になっていた阿山さんとも「起業したいね〜」と話すようになっていました。

ですが私にとって、毎月決まった日にお給料が入ってくる会社員は、父が言っていた「安定した仕事」だと感じられ、安心感もありました。

起業したい気持ちはあるのに、一歩踏み出せない。情けなくて、悔しくて、仕方なく会社員を続けているような気持ちにもなっていました。

阿山さんとの別れ

やがて阿山さんは、勤務していた会社を辞めて自分の会社を立ち上げました。「一緒にやろうよ〜」の言葉にも、私は一歩を踏み出すことができませんでした。

経営者となった阿山さんが相談するのは、同じ経営者の立場の人たち。まだ会社員である私とは会う機会が少しずつ減っていました。

共通の友人から聞くのは、「あまり上手くいっていないらしい」という話。商品が売れずに悩んでいるという噂でした。

「ああ、起業って大変なんだ。やっぱり毎月お給料がもらえる会社員がいいんだ」と自分をなだめながら会社員を続けていたある日、阿山さんが久しぶりに我が家に遊びに来ることになりました。

しかし、具合が悪そう。

たまたま似た症状の知り合いがいたので、通っている病院を聞いて、阿山さんに紹介しました。診断の結果、知らされた病名は難病の一つでした。

思うように身体を動かせない阿山さんと、会う場所は病院の病室ということも多くなりました。

自分が一番辛いはずなのに、仕事での苦労や弱音を一切言わず、「早く会社辞めて起業しなよ。自由にできていいよ。こんなことやろうよ!」と私に楽しい未来を話してくれました。

一歩が踏み出せない、勇気がない、阿山さんにアドバイスしてあげることもできない・・・。

会うたびに虚しさを感じると同時に、「やっぱり会社員を続けた方が安定していていいんだ」と自分に言い聞かせていました。

そうして数年がたった冬。東京でも記録的な大雪が降る年でした。大雪が降る年でした。飛行機が欠航するかもしれないという大雪の中、私はニューヨーク出張へ旅立ちました。

ニューヨークに到着した翌日。会社へ出勤する準備をしていると、日本から電話がありました。

涙で、声が途切れ途切れになった友人から聞こえた言葉は

「阿山さんが、死んじゃった・・・」

ニューヨークにいた私は葬儀に参加できませんでした。人付き合いの多かった阿山さんの葬儀には、大勢の友人知人が押しかけ、人で溢れかえっていたそうです。

阿山さんは、亡くなる直前にパソコンを注文していました。亡くなった翌日にパソコンが届いたそうです。自宅でオンラインで仕事を頑張るつもりだったのでしょう。

私には、仕事に関して何もサポートしてあげられなかった無念さだけが残りました。

ようやく一歩踏み出す・・・ 

その後も会社員を続けた私は、マーケティングの部長をしていました。

しかし、年齢のせいでしょうか、会社が求めているものと自分とのギャップを感じるようになりました。

さらに「このまま会社員を続けて定年退職になって、その後どうするんだろう?」と考えるようになり、「60歳で定年退職してその後起業するのは大変だし、やるなら今しかない!」と思うようになっていました。

ついに会社を辞める決意をした私は、すぐに会社を設立し、化粧品のEC通販を始めました。会社を設立して2ヶ月後、会社を退職しました。

起業した直後に介護がスタート

6月初旬、会社を辞める4日前、実家近くの病院から電話がありました。

父が自転車で倒れて肋骨を骨折。元々、肺に持病を持っていた父は、骨折の影響なのか、持病による体調が思わしくなくそのまま入院することになったのです。

しかし、入院するように言われた父は、「入院できない!」の一点張りだったのです。なぜなら一緒に暮らす母には認知症の症状が出ていて、父が一緒にいる必要があるから。

そこで困った病院が私に「すぐに来ることができますか?」と電話をかけてきたのです。

慌てて病院に駆けつけ、母のことを心配する父の入院手続きを済ませ、母と一緒に家に帰りました。

それが、怒涛の介護生活の始まりでした。

姉と私は、交互に実家に戻り、常に母を見守りながら家事を済ませ、病院にいる父を見舞う日々を送ることになったのです。

父が退院して家で静養することになっても、状況は変わりません。

実家にいる間は家事に忙しく、全く仕事などできません。仕事ができない辛さはありましたが、ずっと離れて暮らしていた両親と過ごす時間を持てたことを嬉しく思う気持ちもありました。

介護がはじまった時に、姉とはこんな約束をしていました。

「頼めることは人に頼んで、私たちは仕事を辞めたりせずに、今の生活を守りながら、できる範囲で介護をしていこう」と。

病院のカウンセラーの方やケアマネージャーさんたちには、本当にお世話になりました。感謝の言葉しかありません。

自転車で転倒して肋骨を骨折してからわずか3ヶ月後、9月に父が亡くなりました。

その後も、認知症の母を預ける施設を探したり、母が骨折して病院通いをしたりと、慌ただしい日々は続きました。

化粧品のEC通販では、注文が入ると荷物を発送しなければいけません。在庫も管理しなければなりません。できるだけ手間をかけずに、時間を自由に使える仕事をしたいと強く思うようになりました。

会社員時代から動画に興味があった私は、動画マーケティングを学んでいたので、「動画講座を作って販売しよう」と考え始めていました。

でも、なかなか一歩踏み出せないでいるのは会社員時代と一緒。

完全に思考停止状態に陥って、何もすることができないまま日々が過ぎていました。

健康診断で病気が発覚

毎月、施設を訪れては母と面会を続けていた翌年の春。

いつも3月中に健康診断を受けるのに、その年はすっかり忘れていました。

「面倒だから、今年は受けるの辞めておこうか。。」などと思いつつ、病院へ電話すると、4月の初旬に空きがあったので、「まぁ、せっかくだから受けておこうか」ぐらいの気持ちで健康診断を受けました。

そして、4月末、健康診断の結果、マンモグラフィーで再検査が必要でした。

結果が届いたその日のうちに、病院に再検査の予約を入れました。

忘れもしない5月12日、検査結果が出る日。

心配している夫と一緒に病院を訪れました。

夫の姿を見た医師が「あっ、ご主人も一緒ですね。よかった」といった一言で「あっ、結果が良くないんだな」と察しました。

予想通り、医師から聞かされたのは「残念ですが悪性の腫瘍でした。でもステージ1、とても初期の発見ですからラッキーですよ」との言葉でした。

自分のこととは思えないくらい、冷静でいる私。

説明を聞いて「すぐに治療を始めたい。最短で手術をお願いします」とお願いし、その場で手術の日程が決まり、治療スケジュールが立てられました。

それから、検査のために毎日のように病院に通う生活がスタートしました。

SNS集客に出会うまで

同時に「やっぱり動画講座を作って販売しよう!」と決意を固めて動き出しました。

動画講座販売のための自動化の仕組みを作るための動画講座を購入。毎日、動画講座をみては、自分で動画を撮影していきました。

やがて手術のために入院、ベッドの上でも動画講座を繰り返し見て、自動化の仕組み作りを学び、動画講座の販売を始めました。

自動化は広告を行うことが基本。さらに私が知っている集客方法は、広告だけ。

「もしこのお金を使わずにすんだら・・・」と何度も考えました。ただでさえ手持ちの現金が少ないのに広告なんて・・・、長続きできるか不安でいっぱいでのスタートでした。

動画講座が売れてくると、生徒さんと話をする機会がないことに気が付き、とても不安を感じるようになりました。

生徒さんがどんな感想をもたれたのか、動画講座が役に立ったのか、知りたくなりました。しかしメールを送っても誰も返事をくれません。

毎日の時間は有効に使えるけど、生徒さんとも話をすることがなく過ぎていくのは、とても寂しくて、悲しくて、辛い思いでした。「もっと生徒さんの悩みを直接聞きたい」「生徒さんの変化を感じたい」そんな気持ちが強くなり、体調も元に戻りつつあった私は、動画講座の販売をスッパリと辞めました。

そして始めたのはZOOM講座。

生徒さんと、がっつり話すことに決めました。

ZOOMを使って、生徒さんと話をすることができ、生徒さんのことをより知ることができるようになって、「これはよかった」と思ったのも束の間。

自動化をやめるとともに広告をやめたので、広告以外の集客を知らない私は、一気に集客できなくなってしまいました。でもお金はかけたくない・・・。

お金をかけずに集客する方法はないか?

模索しているときに、YouTubeで男子大学生が「インスタで集客してマネタイズした」と言っているのを聞いたのです。それが私とSNS集客との出会いでした。

「本当にインスタで集客できるのかな?」と半信半疑で、男子大学生が言っている幾つかのノウハウのうち、一つを真似たら、ドンっとフォロワーが増えたのにはびっくり!

そして別のノウハウも行うと、またフォロワーが増えたのです。

スマホを操作することが苦手で、SNSも「とりあえずアカウントを持っている」状態だった私でも再現できたことに感激しました。コストがかからないのも大きな魅力!

私は一気にSNS集客の虜になりました。

SNS集客は再現性が高い!SNS集客を身につけよう!と決めたのです!!!

早く結果を出したくて、SNS集客を学ぶために、崖から飛び降りるような思いで自己投資しました。

SNS集客は、基本がシンプル!複雑な仕組みを作らなくても再現できる良さがあります。

自己投資したおかげで、正しいSNS集客のノウハウを身につけることができただけでなく、同じ目標を持つ仲間にも出会うことができ、もっと早くSNS集客を学んでおけばよかったと思うほどです。

こうして私は、SNS集客を学び始めてから、わずか2ヶ月で100万円の売上を達成することができました。

今では「スマホやSNSが苦手で、集客や売上で悩んでいる女性起業家」に向けて「コストをかけずに最短最速で結果を出すSNS集客と仕組み作り」講座を開講し、楽しく毎日を過ごしています。

父が言っていた「これからは女性が働く時代だよ」の言葉通り、多くの女性起業家が経済的自立を目指しています。

今の私なら、阿山さんに的確なアドバイスをしてあげることができるのに・・・。

阿山さんがいない今、多くの女性起業家さんたちの成功を支援することが、私の喜びになっています。

ミッションである『より多くの女性が「やりたい!」を叶えて楽しく幸せな時間を過ごせるようにする』 を胸に、女性の活躍を応援しています!

伏見美映

コストをかけずに最短最速で結果を出すSNS集客と仕組み作りの専門家

起業カレッジInitial Stage主宰